会社概要

| 社名 | 株式会社入谷電鍍所 | 
|---|---|
| ブランド名 | IRIDEN SINCE1915 | 
| 所在地 | 〒110-0012 東京都台東区竜泉1-9-3 | 
| TEL | 03-3875-6146 | 
| FAX | 03-3875-6149 | 
| Eメール | ![]()  | 
| 創業 | 大正5年 | 
| 設立 | 昭和28年 | 
| 資本金 | 1,000万円 | 
| 代表者 | 間部健一郎 | 
| 従業員 | 15名 | 
| 事業内容 | 金属表面処理全般及び各種回転メッキ、各種焼付塗装、その他、これに付随する事業及び製品の製造販売 | 
| メッキ品目 | ダール、ダールブラック(DB)、ATS,ニッケル、黒ニッケル、各種ブロンズメッキ、各種黒色処理 | 
| 取扱品目 | アクセサリー、バッグ、ベルト、ランドセル、ひな人形、五月人形、文具、運動具、官需品などの各種メッキ、及びキーホルダー、ネジ、乾電池部品など各プレス製品 | 
| 取引銀行 | みずほ銀行 稲荷町支店、東京東信用金庫 入谷支店 | 
| 営業時間 | 9時~17時 | 
| 休業日 | 土曜日、日曜日、祝祭日 | 
沿革

弊社の前身は、明治の初期に金物業として始まり、その後、麦稈真田業、さらに電気鍍金業に変わる。
| 明治初期 | 金物業釘幸商店(東京府下谷区坂本町)を開業。(東京帝室博物館御用達) | 
|---|---|
| 明治44年 | 麦稈真田業島村玉屋(本社 南埼玉郡春日部町)の入谷分工場(東京府下谷区入谷町167番地)の経営にも乗り出す。 | 
| 大正4年5月 | 島村玉屋入谷分工場を閉鎖。同時に釘幸商店の経営を番頭に託す。 同年 電気メッキ業入谷電鍍所を島村玉屋分工場の跡地に創設する。  | 
| 大正12年9月 | 関東大震災にて被災、同年再建する。 | 
| 昭和2年10月 | 我が国初めての回転鍍金装置(型式KGC設計図番号Z No.9357)(設計図現存)をドイツ ラングバイン社より輸入、同社のケーニ技士を招聘して同技師の指導により回転ニッケルメッキ、回転真鍮メッキの技術を習得、導入する。 | 
| 昭和4年5月 | 日光街道の開通のため区画整理を受け、現在地に工場建設、分割移転する。 | 
| 昭和8年3月 | 創業者 間部熊より、間部鉄雄 2代目社長に就任。 | 
| 昭和17年9月 | 間部鉄雄より、間部正一 3代目社長に就任。 | 
| 昭和20年3月 | 東京大空襲により工場焼失、灰燼に帰す。 | 
| 昭和21年3月 | 工場再建する。 | 
| 昭和28年2月 | 法人に組織変更する。 | 
| 昭和42年5月 | 重量鉄骨2階建て工場新築。 | 
| 昭和46年11月 | 公害防止除害施設、排水処理設備設置。 | 
| 昭和56年4月 | 間部正一より、間部健太郎 4代目社長に就任。 | 
| 平成5年2月 | 商標「ダール」登録。 | 
| 平成7年5月 | 商標「DB」「ダールブラック」登録。 | 
| 平成21年4月 | 4階建事務所、作業所、新築。 | 
| 平成22年1月 | エコアクション21 認証登録。 | 
| 平成22年4月 | 間部健太郎より、間部健一郎 5代目社長に就任。 | 
アクセス
  
弊社の環境への取り組み
弊社では、環境に関わる法律・規則・条例を遵守して、地域社会と協力を計り、環境の保全・再生に積極的な取り組みを目指しています。公害対策を実施し、より安全で環境にやさしい工場稼働を実現していく。また、具体的取り組みとして次の項目に積極的に取り組む姿勢でございます。
1) 次のような活動を通じて環境の保全に努めます。
- 二酸化炭素排出量の削減
 - 電気使用料の削減
 - 廃棄物排出量の削減
 - 化学物質使用量の削減
 - グリーン購入
 - 出荷品質の向上
 
2) 関連する法規制、条例の順守するよう努めます。
3) 排水の基準値を順守し汚染の予防に努めます。
4) 環境保全活動に取組、これをレポートとしてとりまとめ公表する。
弊社の基礎となった機械装置と電源機器につきまして
弊社では、昭和2年日本初の回転メッキ装置をドイツラングバイン社より輸入し、技師ケーニ氏の指導で、メッキ技術を習得し、以来約100年技術を磨いて参りました。
右の写真は、弊社にある昭和21年4月製造の電元工業株式会社製のセレン整流器です。(形式1023B、50~60HZ、入力100~200V、出力15V~70A、製造番号1115-B24)となります。
現在でも使用可能で、この1台しか現存してません。











